先日、テレビでCAR SOSという車修理の番組を見ました。家族が持ち主に内緒で車のレストアを依頼するという番組です。車はほとんど朽ち果てていて使えるパーツがほとんどない状態です。それにしてもよくあんなに錆びるなと感心します。日本の車であそこまで錆びてるのって珍しいと思うんですが。エンジン、サスはおろかボディパネルも使えなくて、使えたのはルーフとボディシェルくらいです。
それでも元の車といえるのか
日本では法律的には車体番号が変わらない限りどれだけ部品を交換しても問題ないようです。番号が書いてあるボディを交換したら職権で打刻してもらうことも可能みたいです。イギリスでは車体番号を維持するために残す部分が決まっているようです。Vehicle registration(GOV.UKサイト)
ここで私が思ったのは合法かどうかという議論ではなくて、気持ち的に元の車と思えるかどうかです。物理的にはほとんど別の車といっていいと思います。ごく少数の部品だけが痕跡をとどめている・・・。かといって中古車を渡されてほぼ同じものだといわれても、思い出深い車にあっては「それは違う」と叫ぶでしょう。やはり、一部でもそれが使われていることで、元の車であると自分を納得させることになるのだと思います。特に、その車両そのものというよりも、それに付随する思い出など目に見えない大きな価値を有するときにはそう思うかもしれません。
車ではありませんが、私がずいぶん昔に自作のパソコンで遊んでいた頃、性能アップのためにパーツをよく取り替えていました。CPU、マザーボード、ケースと交換して行き最終的には蓄えたデータ以外には共通点が無くなっていましたが、意識的には昔のパソコンを使い続けていると思っていました。
エイトマンとして甦った刑事、東八郎は、サイボーグではなく完全な機械でしたが、子供たちは疑いなく彼を東八郎として見ていたと思います。
話がそれました。
ただ、自分が知らない間にレストアされていたという展開は私的にはあまりうれしくないかもしれません。心の整理に時間がかかります。しかし、親しい人たちが自分のためにレストアをしてくれたという事実が胸を打ちます。ほとんどの部品が交換された車に、昔の思い出以上の新しい価値が加わることによって、より大切な車となるに違いありません。