何十年か振りに5月人形を飾ってみました。半世紀以上前の物です。飾り棚だけ紛失したので新しく買いました。毛氈が日焼けしていたので裏返して使用。裾の花しょうぶの模様は裏に付け直しました。半間の棚に押し込んだので窮屈です。
私の息子の端午の節句はどうしたのかというと、これを使いまわしました。
だって、こんなにかさ張るものを、子供用にもう一つ揃えたら邪魔になって仕方ありません。ましてや、仮に男の子が3人いたら3つ揃えるなんて狭い我が家ではあり得ない話です。同じものを買わないと兄弟で差をつけちゃ可哀想でしょ。
これから書くことは、まったくの私見です。
ほんとはどうなの?
端午の節句自体は古くは奈良時代からの厄払いの宮中行事であり、五月人形は、鎌倉時代以降の武家の風習から来ているそうです。鎧兜を飾って男の子の立派な成長を願うという意味がありました。
もっと詳しい話は人形屋さんなどのウェブサイトを見ると書いてあります。そのなかでは、五月人形は子供のかわりに厄を引き受けるものだから、厄を引き継いでしまうので譲り渡せないとも書いてあります。(ざっと見てみると、ほとんどのネット情報は譲れない説(とその受け売り)で、ひとつだけそうじゃない説がありました)
「立身出世と無事を願って飾るのはわかるけど、それが厄を引き受けるものだという決めつけは論理が飛躍しすぎでは? いつからそんな話になったの?」と思うわけです。
鎧、兜の飾りは?
冒頭の写真の鎧飾りや兜飾りはひっくるめて「五月人形」と言ってますが、これって「人形」じゃなくて鎧兜のレプリカ、特に兜飾りなんかどう見ても人形じゃないです。もともと、武家が子供のために鎧兜を飾ったという由来からして、単に立派に育ってほしいとか、厄を引き受けるというよりも厄を追い払うために飾ってるような気がします。
少なくとも私には、鎧兜の飾りに厄を引き受けてもらおうなんて意識はこれっぽっちもありませんでした。どっちかというと、魔よけ、悪霊退散!的アイテムかつ立身出世祈願アイテムだと思ってました。
今までの実績から祈願成就パワーがあると判断されるなら残してもいいかもしれません。後任者が前任よりできる人とは限りませんからね。
人形は?
ただし、五月人形の由来がどうだったかは置いといて、一般論として「人形(人の形をしている)」は、ヒトガタですからその本来的に持つ意味からすると子供の身代わりに厄を受けることを暗黙に期待したということは考えられます。それに子供のころから飾ってるお人形さんは、念がこもってそうで人からもらう気がしません。
ただ、屁理屈を言うと、引き受けた厄を放出せずにずっと引き受けつづけてくれるなら問題ないですよね。
パワーはどこから来るのか?
五月人形のパワーの源泉はどこにあるのでしょうか。お守りのように神社でお祓いや祈祷をしてもらってから飾るわけではないので、最初に100%の力があるとは思えません。だとすると、毎年飾って喜ぶ人々の気持ちがパワーの源泉ではないかと思うわけです。(まったくの私見です)
ですから、年数が経つと減っていくというよりも蓄積されていくもののような気がします。ただ、人形のように一対一の関係性が強すぎると継承するのがはばかられるということでしょう。
だったらどうする?
同じ家に住んでる子供用に別にそろえる気はなかったんですが、子供が独立して孫ができたときに、これを持って行けというつもりは毛頭ありません。別の家に住むんなら、新しく買う方がいいと思うわけです。
せっかく出来た孫なら新しく揃えてあげたらいいんじゃないでしょうか。
余裕があるなら使いまわそうなんてけち臭いことを考えずに自分の子にも買ってやればいいと思いますよ。特に、お人形さんは専用のを買ってあげたほうがいいと思います。
いろいろ書きましたけど、結論としては贈る人の気持ちしだいということです。
私見にお付き合いいただきありがとうございました。